2009年 03月 08日
宵闇(ver.0.9.1) |
ノーマン・ゴーツビィは公園のベンチに腰掛けていた。背もたれの後ろには、細長く狭い潅木の植え込みが手すりで囲われていた。彼が正面から見据える広い車道の向こうには町の家並みがある。馬車がひっきりなしに行き交うハイドパーク・コーナーは彼のすぐ右手にあった。三月はじめの夕べ、六時を三十分ばかり過ぎた頃合で、あたりの風景を包み込むように埋め尽くしていた宵闇は、ややほのかな月明かりや、多くの街灯によって、いくぶんやわらげられていた。横道にも舗装路にも人はなかったが、その一方で、ベンチや椅子には、まったく目立たないまま暗闇の影の中に座る少なからぬ人影が、そこここに照らし出されていた。
そんな光景は、まさにゴーツビィの心境にぴったりのものだった。彼が思うに、宵闇とは敗残者の時間なのだ。戦って敗れ、幸運を取りこぼしたものたち、希望をなくしたものたちが、おのれのみすぼらしい衣服や落とした肩を、せんさく好きな目に見とがめられまいと、薄暗さを頼って姿を現わすのだ。注意を引かないように、少なくとも、はっきりと見られないように。
宵闇をさすらうものは、無遠慮な視線を人から向けられることを好まない。それゆえ彼らはコウモリのように現れ、誰すらも見向くことがない領土のなかで、せめてものはかない喜びを見いだしている。この薮と柵とで仕切られた庇護を越えれば、そこはもうきらめく光と喧噪、せわしく行き交う者たちの世界だ。まばゆく連なる窓から照り輝く光が、宵闇の彼方から漏れ届く。それはつまり、はかない努力によってなにがしかのものを得ている人、少なくとも零落することなく踏みとどまっている人たちの存在を示している。――とかなんとか、目の前を横切る人もほとんどいないなかで、ベンチに座ったゴーツビィの想像力はそのようなことを思い描いていた。
彼は、彼がいうところの"挫折した人々"に自分をも加えたい気分だった。彼に経済的な問題はなかった。もし望むのであれば、いますぐあの光と音の世界にまろび出て、繁栄を楽しむ者たちや、苦闘している者たちのただ中に自分の陣地を得ることもできるのだ。彼の"敗北"は、そうと呼ぶには微妙なもので、ちょっとした気紛れによって悲嘆にくれたり幻滅を感じたりする気分を楽しみ、勝手に仲間と見なしている放浪者たちを闇を照らす街灯の薄明かりに見いだして眺めては、シニカルな喜びを感じているにすぎないのだった。
彼が座るベンチの反対側の端には、何に対しても挑んだことはあるぞ、というような、そこはかとない自尊心の痕跡を残しつつ、しかし今はうなだれた感じの年老いた紳士がいた。身にまとっているものは、それほどみすぼらしくもなく、少なくともこの薄明かりのもとでは及第点だった。とはいえ、ひと箱で半クラウンするようなチョコレートを気まぐれに買い求めたり、洒落を気取るために9ペンスのカーネーションを胸に飾ったりするような人物には見えない。彼は明らかに、誰をも踊らせることができない孤独なオーケストラの笛吹きだった。世界に失望を抱く、人の涙を誘うことすらできない孤独な人間だ。やがて彼が立ち去るのを見送りながら、ゴーツビィは、彼が帰るのは、邪険に扱われ、尊重されることのない家庭か、それとも毎週の宿賃を払うことが彼にとって唯一最大の関心事となる寂れた宿かと想像した。(※訳注:1900年ごろの1シリングは、2000年現在の貨幣価値で千円ほど。半クラウンは2シリング6ペンス。1ペンスは1/12シリング。つまり「半クラウンのチョコレート」は約2500円、「9ペンスのカーネーション」は約750円)
退却する老紳士の姿がゆっくりと闇の中に溶け込む間もなく、その領地は若者に占拠された。その服の仕立てはなかなかのものだったが、意気軒昂ぶりたるや、去っていった老人と大差なかった。
あたかも世の中はままならぬものという事実を強調しようというのか、青年は席につくなり怒りにまかせた聞こえよがしな悪態を自分に投げかけていた。
「あまりご機嫌ではないようですね」いわくありげなふるまいからして注目を求める様子に思えたので、ゴーツビィは声をかけた。
それで青年がすぐ機嫌を直して身体を向ける姿はゴーツビィを警戒させた。
「僕と同じような目にあわされちゃ、あなただっていい気分ではいられないでしょうよ」と、彼は言った。「こんなバカバカしい目にあったのは、生まれて初めてです」
「へえ?」ゴーツビィは気のないふうに応じた。
「ロンドンには午後ついたんですけどね、バークシャー広場のパタゴニアン・ホテルに宿を取るつもりでした」青年は話を続ける。
「ところが、行ってみると数週間前に取り壊されて、映画館になってるじゃないですか。それで馭者に薦めてもらって、少し離れた別のホテルに泊まることにしたんです。家族に連絡先を知らせる手紙を書いてから、石鹸を買おうと——ホテルの石鹸を使うのは嫌いなんですが、旅行鞄に入れるのを忘れてまして——外に出ました。それでしばらく町をぶらついて、バーで一杯やったり、いくつか店を冷やかしたりして、さあ帰ろうかという段になって、はっと気付いたんですよ。ホテルの名前も、それがどの通りにあったのかも思い出せないんです。ロンドンに友人も知人もいない人間にとっては、まったく絶妙な苦境ですよ! もちろん自分が泊まっているはずのホテルの名前を家に電報で問い合わせれば済む話なんでしょうが、明日になるまで家族が手紙を受取ることはできません。その間、一文無しで過ごさなきゃならないんです。出がけに持っていったのはたった1シリングだったもんで、石鹸を買って一杯飲んで、この通りポケットには2ペンスしか残ってません。これで行くあてもないまま一晩過ごさなきゃいけないんです」
話が終わり、うさんくささを感じているらしいことを物語る相手の沈黙を感じるや、「どうやら僕が可能性のかけらもない作り話をしているとお思いのようですね」と、青年はうらめしそうに言った。
「可能性ということなら、あり得ると思いますよ」ゴーツビィは公平に言った。「僕も一度、それと同じことをよその国の首都でやらかしましてね。そのときはふたり連れだったんですが、実にお笑いぐさでしたよ。幸いホテルが運河沿いにあったことだけはふたりとも覚えていたので、川沿いに歩いて、どうにかホテルにたどり着くことはできました」
それを聞いて、若者の顔が明るくなった。「これが海外なら、かえって楽なんです」と言い、「領事館に駆け込んで、助けを求めればいいだけですからね。自国内のこととなると、まったく困ったことになるんです。僕のこの途方もない話をぐっと呑み込んで、一晩を安心して過ごせるだけのお金を貸してくれる寛大な人を探さなきゃなりません。僕の話をまったくのデタラメと思わないでいただけたのはありがたいですよ」
彼は、ゴーツビィは窮地の彼が求めている親切さを欠いているとは思っていない、という態度を言葉の最後に込めていた。
「当然のことですが」ゴーツビィはゆっくり言った。「あなたのお話でいちばん弱いのは、あなたが石鹸を見せてくれないことですね」
若者は座ったまま慌ててコートのポケットをまさぐり、はじかれたように立ち上がった。
「どこかになくしたらしい」彼は不機嫌そうに言った。
「ホテルも石鹸も同じ日に失ったとおっしゃるのは、故意の不注意さを示していますね」とゴーツビィは言ったが、若者はその皮肉を最後まで聞こうとはしなかった。いくぶんくたびれた様子ではあったが、頭は高く上げたまま細道へ去って行く。
(同情すべき点はある)と、ゴーツビィは黙考した。(石鹸を買いに出るというのは、あの話の中ではじつに説得力のある設定だった。にもかかわらず、そのささいな点こそが彼に失敗をもたらしたわけだ。もし彼が、薬屋らしい配慮が行き届いた包装のなされた石鹸をあらかじめ用意しておく聡明さを持ちあわせていれば、ああいう商売における天才と言ってもよかったろう。彼の商売において天才と呼ぶべきは、どんな状況も切り抜ける準備を万端ととのえているものなんだ)
そのようなことを考えながら、ゴーツビィは立ち上がり、思わず悲痛の叫びを漏らした。ベンチ脇の地面に、薬屋が配慮を込めたかのような小さい楕円の包みが落ちている。間違いなく石鹸だった。若者が腰掛けたときにコートのポケットから落ちたことは疑いようがなかった。次の瞬間、ゴーツビィは宵闇の帳のなか、コートを着た若者の姿を探すために駆け出した。もう少しであきらめようかというところで、探している相手が車道のそばに迷った様子で立っているのを見つけた。公園を横切るか、それともナイツブリッジの雑踏へ向かうかを決めかねているようだった。ゴーツビィが呼びかけながら近付いてくるのに気付くと、彼は敵意のこもった様子で素早く向き直った。
「あなたの話を裏付ける重要な証拠が現れましたよ」ゴーツビィはそう言って、石鹸を差し出した。「座ったときに、コートから滑り落ちたんでしょうね。あなたが行ってしまわれたあと、地面に落ちていたのを見つけたんです。疑ったことはお許しいただかねばなりませんけれども、状況が状況でしたから仕方なかったんですよ。まあこのように証拠が出てきた以上、僕も評決に従わなくてはならないようです。ソブリンでお役に立てるでしょうか——」(※訳注:ソブリン金貨は当時1ポンド=20シリングなので、2万円くらいの割合大きい金額)
若者は金貨をポケットに入れて、充分である意を即座に示した。
「この名刺に僕の住所があります」と、ゴーツビィは続けて、「お金を返していただくのは今週ならいつでも。それから石鹸をどうぞ——もうなくされないように、あなたにとって素晴らしい道連れなんですからね」
「あなたにこれを見つけていただけたのは本当に幸運でした」若者はそう言いながら、にわかに咳き込みつつ、ひとことふたこと礼の言葉を述べて、ナイツブリッジのほうへ急いで去っていった。
「かわいそうに。もう少しで危ないところだった」ゴーツビィはつぶやいた。「お互いびっくりもするさ、彼が深刻な危機から救われたのだってずいぶん予想外のことなんだ。ひとり勝手な判断は利口なやり方じゃないと、僕にも教訓になったな」
しばらくして、彼がささやかな舞台となった場所に引き返すと、老紳士がベンチの下を覗き込んだり、あたりを見回していた。ゴーツビィは、最初にベンチで一緒に座っていた紳士だということに気付いた。
「失礼ですが、なにかお探しですか?」彼は尋ねた。
「ええ、ちょっと石鹸を」
そんな光景は、まさにゴーツビィの心境にぴったりのものだった。彼が思うに、宵闇とは敗残者の時間なのだ。戦って敗れ、幸運を取りこぼしたものたち、希望をなくしたものたちが、おのれのみすぼらしい衣服や落とした肩を、せんさく好きな目に見とがめられまいと、薄暗さを頼って姿を現わすのだ。注意を引かないように、少なくとも、はっきりと見られないように。
戦い敗れ見捨てられし王
その苦き定めこそ人の業
彼は、彼がいうところの"挫折した人々"に自分をも加えたい気分だった。彼に経済的な問題はなかった。もし望むのであれば、いますぐあの光と音の世界にまろび出て、繁栄を楽しむ者たちや、苦闘している者たちのただ中に自分の陣地を得ることもできるのだ。彼の"敗北"は、そうと呼ぶには微妙なもので、ちょっとした気紛れによって悲嘆にくれたり幻滅を感じたりする気分を楽しみ、勝手に仲間と見なしている放浪者たちを闇を照らす街灯の薄明かりに見いだして眺めては、シニカルな喜びを感じているにすぎないのだった。
彼が座るベンチの反対側の端には、何に対しても挑んだことはあるぞ、というような、そこはかとない自尊心の痕跡を残しつつ、しかし今はうなだれた感じの年老いた紳士がいた。身にまとっているものは、それほどみすぼらしくもなく、少なくともこの薄明かりのもとでは及第点だった。とはいえ、ひと箱で半クラウンするようなチョコレートを気まぐれに買い求めたり、洒落を気取るために9ペンスのカーネーションを胸に飾ったりするような人物には見えない。彼は明らかに、誰をも踊らせることができない孤独なオーケストラの笛吹きだった。世界に失望を抱く、人の涙を誘うことすらできない孤独な人間だ。やがて彼が立ち去るのを見送りながら、ゴーツビィは、彼が帰るのは、邪険に扱われ、尊重されることのない家庭か、それとも毎週の宿賃を払うことが彼にとって唯一最大の関心事となる寂れた宿かと想像した。(※訳注:1900年ごろの1シリングは、2000年現在の貨幣価値で千円ほど。半クラウンは2シリング6ペンス。1ペンスは1/12シリング。つまり「半クラウンのチョコレート」は約2500円、「9ペンスのカーネーション」は約750円)
退却する老紳士の姿がゆっくりと闇の中に溶け込む間もなく、その領地は若者に占拠された。その服の仕立てはなかなかのものだったが、意気軒昂ぶりたるや、去っていった老人と大差なかった。
あたかも世の中はままならぬものという事実を強調しようというのか、青年は席につくなり怒りにまかせた聞こえよがしな悪態を自分に投げかけていた。
「あまりご機嫌ではないようですね」いわくありげなふるまいからして注目を求める様子に思えたので、ゴーツビィは声をかけた。
それで青年がすぐ機嫌を直して身体を向ける姿はゴーツビィを警戒させた。
「僕と同じような目にあわされちゃ、あなただっていい気分ではいられないでしょうよ」と、彼は言った。「こんなバカバカしい目にあったのは、生まれて初めてです」
「へえ?」ゴーツビィは気のないふうに応じた。
「ロンドンには午後ついたんですけどね、バークシャー広場のパタゴニアン・ホテルに宿を取るつもりでした」青年は話を続ける。
「ところが、行ってみると数週間前に取り壊されて、映画館になってるじゃないですか。それで馭者に薦めてもらって、少し離れた別のホテルに泊まることにしたんです。家族に連絡先を知らせる手紙を書いてから、石鹸を買おうと——ホテルの石鹸を使うのは嫌いなんですが、旅行鞄に入れるのを忘れてまして——外に出ました。それでしばらく町をぶらついて、バーで一杯やったり、いくつか店を冷やかしたりして、さあ帰ろうかという段になって、はっと気付いたんですよ。ホテルの名前も、それがどの通りにあったのかも思い出せないんです。ロンドンに友人も知人もいない人間にとっては、まったく絶妙な苦境ですよ! もちろん自分が泊まっているはずのホテルの名前を家に電報で問い合わせれば済む話なんでしょうが、明日になるまで家族が手紙を受取ることはできません。その間、一文無しで過ごさなきゃならないんです。出がけに持っていったのはたった1シリングだったもんで、石鹸を買って一杯飲んで、この通りポケットには2ペンスしか残ってません。これで行くあてもないまま一晩過ごさなきゃいけないんです」
話が終わり、うさんくささを感じているらしいことを物語る相手の沈黙を感じるや、「どうやら僕が可能性のかけらもない作り話をしているとお思いのようですね」と、青年はうらめしそうに言った。
「可能性ということなら、あり得ると思いますよ」ゴーツビィは公平に言った。「僕も一度、それと同じことをよその国の首都でやらかしましてね。そのときはふたり連れだったんですが、実にお笑いぐさでしたよ。幸いホテルが運河沿いにあったことだけはふたりとも覚えていたので、川沿いに歩いて、どうにかホテルにたどり着くことはできました」
それを聞いて、若者の顔が明るくなった。「これが海外なら、かえって楽なんです」と言い、「領事館に駆け込んで、助けを求めればいいだけですからね。自国内のこととなると、まったく困ったことになるんです。僕のこの途方もない話をぐっと呑み込んで、一晩を安心して過ごせるだけのお金を貸してくれる寛大な人を探さなきゃなりません。僕の話をまったくのデタラメと思わないでいただけたのはありがたいですよ」
彼は、ゴーツビィは窮地の彼が求めている親切さを欠いているとは思っていない、という態度を言葉の最後に込めていた。
「当然のことですが」ゴーツビィはゆっくり言った。「あなたのお話でいちばん弱いのは、あなたが石鹸を見せてくれないことですね」
若者は座ったまま慌ててコートのポケットをまさぐり、はじかれたように立ち上がった。
「どこかになくしたらしい」彼は不機嫌そうに言った。
「ホテルも石鹸も同じ日に失ったとおっしゃるのは、故意の不注意さを示していますね」とゴーツビィは言ったが、若者はその皮肉を最後まで聞こうとはしなかった。いくぶんくたびれた様子ではあったが、頭は高く上げたまま細道へ去って行く。
(同情すべき点はある)と、ゴーツビィは黙考した。(石鹸を買いに出るというのは、あの話の中ではじつに説得力のある設定だった。にもかかわらず、そのささいな点こそが彼に失敗をもたらしたわけだ。もし彼が、薬屋らしい配慮が行き届いた包装のなされた石鹸をあらかじめ用意しておく聡明さを持ちあわせていれば、ああいう商売における天才と言ってもよかったろう。彼の商売において天才と呼ぶべきは、どんな状況も切り抜ける準備を万端ととのえているものなんだ)
そのようなことを考えながら、ゴーツビィは立ち上がり、思わず悲痛の叫びを漏らした。ベンチ脇の地面に、薬屋が配慮を込めたかのような小さい楕円の包みが落ちている。間違いなく石鹸だった。若者が腰掛けたときにコートのポケットから落ちたことは疑いようがなかった。次の瞬間、ゴーツビィは宵闇の帳のなか、コートを着た若者の姿を探すために駆け出した。もう少しであきらめようかというところで、探している相手が車道のそばに迷った様子で立っているのを見つけた。公園を横切るか、それともナイツブリッジの雑踏へ向かうかを決めかねているようだった。ゴーツビィが呼びかけながら近付いてくるのに気付くと、彼は敵意のこもった様子で素早く向き直った。
「あなたの話を裏付ける重要な証拠が現れましたよ」ゴーツビィはそう言って、石鹸を差し出した。「座ったときに、コートから滑り落ちたんでしょうね。あなたが行ってしまわれたあと、地面に落ちていたのを見つけたんです。疑ったことはお許しいただかねばなりませんけれども、状況が状況でしたから仕方なかったんですよ。まあこのように証拠が出てきた以上、僕も評決に従わなくてはならないようです。ソブリンでお役に立てるでしょうか——」(※訳注:ソブリン金貨は当時1ポンド=20シリングなので、2万円くらいの割合大きい金額)
若者は金貨をポケットに入れて、充分である意を即座に示した。
「この名刺に僕の住所があります」と、ゴーツビィは続けて、「お金を返していただくのは今週ならいつでも。それから石鹸をどうぞ——もうなくされないように、あなたにとって素晴らしい道連れなんですからね」
「あなたにこれを見つけていただけたのは本当に幸運でした」若者はそう言いながら、にわかに咳き込みつつ、ひとことふたこと礼の言葉を述べて、ナイツブリッジのほうへ急いで去っていった。
「かわいそうに。もう少しで危ないところだった」ゴーツビィはつぶやいた。「お互いびっくりもするさ、彼が深刻な危機から救われたのだってずいぶん予想外のことなんだ。ひとり勝手な判断は利口なやり方じゃないと、僕にも教訓になったな」
しばらくして、彼がささやかな舞台となった場所に引き返すと、老紳士がベンチの下を覗き込んだり、あたりを見回していた。ゴーツビィは、最初にベンチで一緒に座っていた紳士だということに気付いた。
「失礼ですが、なにかお探しですか?」彼は尋ねた。
「ええ、ちょっと石鹸を」
("Dusk" in "Beasts and Super Beasts" by SAKI)
Last Update: 2023.2.23
この翻訳はPenguin Booksの"The Complete SAKI"を底本にしています。
サキ(ヘクター・ヒュー・マンロー)の一連の著作はProject Gutenbergから入手することが可能です。
サキ(ヘクター・ヒュー・マンロー)の一連の著作はProject Gutenbergから入手することが可能です。
中村能三訳『サキ短編集』(新潮文庫)にも収録されています。
和爾桃子訳『けだものと超けだもの』(白水Uブックス)にも収録されています。
by islecape
| 2009-03-08 23:07
| サキ