2009年 03月 14日
心と手(ver.0.9) |
東部行きの汽車がデンバー駅に到着すると、ぞろぞろと客が乗り込んできた。客車には、優雅な衣服を身にまとい旅慣れた人が持つ贅沢な品々に囲まれた、とても可憐な若い女性がいた。一方、新参の乗客のなかには、ふたりづれの男たちがいた。ひとりは活気があり親切そうな顔立ちの二枚目で、もうひとりはがっしりとした体つきの、服装に気を使う様子もない不機嫌そうなしかめっ面。ふたりはたがいに手錠でつながっていた。
彼らが通路から入ってきたとき、例の魅力的な女性の正面の席だけが空いていたので、手錠のふたり組はその席についた。若い女性はなんということはなしに彼らをちらと見て、柔らかい頬を薄く染めつつ微笑み、薄灰色の手袋をした華奢な片手を差し出した。彼女が大きく、美しく、しっかりとした声で語るときには、誰もがその言葉に耳をかけるものと決まっているようだった。
「よろしいでしょう、イーストンさん。わたくしから話しかけなければならないとおっしゃるのであれば、そういたします。西部では昔の友達を見ても気づかないことにしておられる――ということではないのでしょう?」
若い男は、声をかけられたときにいくぶんの気後れをおぼえたようだった。しかしすぐに気を落ち着かせ、左手で彼女の手をとって挨拶を返した。
「フェアチャイルドさん」彼は微笑みつつ言った。「左手で失礼します。右手は塞がっていましてね」
彼はちょっと右手を持ち上げてみせた。手首で輝く“ブレスレット”が連れの左手とつながっている。喜びに満ちていた娘の瞳は、しだいに当惑と恐怖に変わっていった。頬から血の気が失せていく。唇ははっきりしない悲痛のために少し開かれた。イーストンがその反応を楽しむかのように笑ってから話を続けようとしたとき、彼より先に口を開いたものがいた。渋面をした男が、鋭い瞳の奥から娘の悲しそうな顔つきを見つめていたのだった。
「割り込んで申し訳ありませんがね、お嬢さん。しかしどうやらこの保安官とは古いお知り合いのようだから、よろしけりゃ檻に放り込まれる私のために口添えしてもらえませんかね。そうなりゃだいぶ助かります。なにせリヴンワース刑務所につれていかれる羽目になりましてね。偽札で七年ですよ」
「まあ!」娘は深い溜息とともに、顔色を取り戻しつつ言った。「じゃあ、あなたはここでそんなことを? 保安官なんて!」
「フェアチャイルドさん」イーストンは落ちつきはらって言った。「なにかしなければならなかったんです。お金というものには飛び去っていくための羽根が生えていて……ご承知の通り、ワシントンの仲間とやっていくのだってお金は必要ですからね。西部で僕はこのような仕事を始めたわけです。連邦執行職というのは、大使ほど高等な職業とは呼べないかもしれませんが——」
「あの大使のことなら」娘はやさしく言った。「それ以上なにもおっしゃらないで。彼にはわたくしなど必要なかったのです。あなたもそれはご承知と思っていました。それでそのあなたが、いまやあらゆる危険のなか、馬と銃とともに西部を駆けめぐる勇者のひとりということなのですね。ワシントンのころとはすっかり変わってしまわれて。昔のお友達はきっとお寂しいことでしょうね」
うっとりとしていた娘の瞳は、少し心配そうにきらめく手錠に注がれた。
「心配することはありませんよ、お嬢さん」片割れの男が言った。「保安官ってやつは誰だって犯人が逃げ出さないように手錠をしておくものです。イーストンさんだって、それを承知のうえでこの仕事をやってるんです」
「ワシントンですぐにお会いすることはできるでしょうか?」娘が尋ねた。
「すぐというわけにはいかないでしょうね」イーストンは言った。「無邪気に過ごすような時間は終わったと、そう思うんです」
「わたし、西部が好きです」娘が妙なことを言いだした。彼女の瞳はきらめいていた。車窓から外を眺め、格式や礼儀ぬきの、率直で素直な言葉で語りはじめた。「母と一緒にデンバーで夏を過ごしました。父が少し体調を崩したので母は一週間前に帰宅しましたけど。わたし、西部でもやっていけると思います。空気があうんです。お金がすべてではないですもの。でも、周りはいつもつまらないことにこだわって——」
「なあ、保安官さんよ」陰気な顔の男がうなった。「こりゃちょっと不公平じゃないか。一杯やらしてほしいね。だいたい今日になって一服もしてないんだ。思い出ばなしはもういいだろう? 喫煙室に連れていってくれねえか? 一服したくて死にそうだよ」
ふたりの旅行者は立ちあがった。イーストンは最初のころ見せた薄笑いを浮かべていた。
「喫煙の請願を断ることはできないんです」彼は明るく言った。「不幸な人間の唯一の慰めですからね。さようなら、フェアチャイルドさん。義務は果たさねばならないんです」彼は別れの挨拶のために手を差しだした。
「東部においでにならないとおっしゃるのは、とても残念です」格式や礼儀をふたたび身にまとい、彼女は言った。「でも、あなたはどうしてもリヴンワースに行かなければならないのですね」
「ええ」イーストンは言った。「僕はどうしてもリヴンワースに行かなければならないんです」
ふたりは身体を横向きにしたまま、通路から喫煙室のほうへ去っていった。
近くに座っていた別のふたりの旅行者が、その会話をほとんど聞いていた。「あの保安官、なかなか粋なことをやる。西部にもあんな人間がいるんだな」
「あんなに若くても、立派に仕事をこなしているってことかい?」片方が聞いた。
「若いって!」最初にしゃべったほうが驚いて、「いったい何を——ああ! 君もわからなかったのか? おい、護送中の保安官が自分の右手に手錠をかけるなんてことがあると思うかい?」
彼らが通路から入ってきたとき、例の魅力的な女性の正面の席だけが空いていたので、手錠のふたり組はその席についた。若い女性はなんということはなしに彼らをちらと見て、柔らかい頬を薄く染めつつ微笑み、薄灰色の手袋をした華奢な片手を差し出した。彼女が大きく、美しく、しっかりとした声で語るときには、誰もがその言葉に耳をかけるものと決まっているようだった。
「よろしいでしょう、イーストンさん。わたくしから話しかけなければならないとおっしゃるのであれば、そういたします。西部では昔の友達を見ても気づかないことにしておられる――ということではないのでしょう?」
若い男は、声をかけられたときにいくぶんの気後れをおぼえたようだった。しかしすぐに気を落ち着かせ、左手で彼女の手をとって挨拶を返した。
「フェアチャイルドさん」彼は微笑みつつ言った。「左手で失礼します。右手は塞がっていましてね」
彼はちょっと右手を持ち上げてみせた。手首で輝く“ブレスレット”が連れの左手とつながっている。喜びに満ちていた娘の瞳は、しだいに当惑と恐怖に変わっていった。頬から血の気が失せていく。唇ははっきりしない悲痛のために少し開かれた。イーストンがその反応を楽しむかのように笑ってから話を続けようとしたとき、彼より先に口を開いたものがいた。渋面をした男が、鋭い瞳の奥から娘の悲しそうな顔つきを見つめていたのだった。
「割り込んで申し訳ありませんがね、お嬢さん。しかしどうやらこの保安官とは古いお知り合いのようだから、よろしけりゃ檻に放り込まれる私のために口添えしてもらえませんかね。そうなりゃだいぶ助かります。なにせリヴンワース刑務所につれていかれる羽目になりましてね。偽札で七年ですよ」
「まあ!」娘は深い溜息とともに、顔色を取り戻しつつ言った。「じゃあ、あなたはここでそんなことを? 保安官なんて!」
「フェアチャイルドさん」イーストンは落ちつきはらって言った。「なにかしなければならなかったんです。お金というものには飛び去っていくための羽根が生えていて……ご承知の通り、ワシントンの仲間とやっていくのだってお金は必要ですからね。西部で僕はこのような仕事を始めたわけです。連邦執行職というのは、大使ほど高等な職業とは呼べないかもしれませんが——」
「あの大使のことなら」娘はやさしく言った。「それ以上なにもおっしゃらないで。彼にはわたくしなど必要なかったのです。あなたもそれはご承知と思っていました。それでそのあなたが、いまやあらゆる危険のなか、馬と銃とともに西部を駆けめぐる勇者のひとりということなのですね。ワシントンのころとはすっかり変わってしまわれて。昔のお友達はきっとお寂しいことでしょうね」
うっとりとしていた娘の瞳は、少し心配そうにきらめく手錠に注がれた。
「心配することはありませんよ、お嬢さん」片割れの男が言った。「保安官ってやつは誰だって犯人が逃げ出さないように手錠をしておくものです。イーストンさんだって、それを承知のうえでこの仕事をやってるんです」
「ワシントンですぐにお会いすることはできるでしょうか?」娘が尋ねた。
「すぐというわけにはいかないでしょうね」イーストンは言った。「無邪気に過ごすような時間は終わったと、そう思うんです」
「わたし、西部が好きです」娘が妙なことを言いだした。彼女の瞳はきらめいていた。車窓から外を眺め、格式や礼儀ぬきの、率直で素直な言葉で語りはじめた。「母と一緒にデンバーで夏を過ごしました。父が少し体調を崩したので母は一週間前に帰宅しましたけど。わたし、西部でもやっていけると思います。空気があうんです。お金がすべてではないですもの。でも、周りはいつもつまらないことにこだわって——」
「なあ、保安官さんよ」陰気な顔の男がうなった。「こりゃちょっと不公平じゃないか。一杯やらしてほしいね。だいたい今日になって一服もしてないんだ。思い出ばなしはもういいだろう? 喫煙室に連れていってくれねえか? 一服したくて死にそうだよ」
ふたりの旅行者は立ちあがった。イーストンは最初のころ見せた薄笑いを浮かべていた。
「喫煙の請願を断ることはできないんです」彼は明るく言った。「不幸な人間の唯一の慰めですからね。さようなら、フェアチャイルドさん。義務は果たさねばならないんです」彼は別れの挨拶のために手を差しだした。
「東部においでにならないとおっしゃるのは、とても残念です」格式や礼儀をふたたび身にまとい、彼女は言った。「でも、あなたはどうしてもリヴンワースに行かなければならないのですね」
「ええ」イーストンは言った。「僕はどうしてもリヴンワースに行かなければならないんです」
ふたりは身体を横向きにしたまま、通路から喫煙室のほうへ去っていった。
近くに座っていた別のふたりの旅行者が、その会話をほとんど聞いていた。「あの保安官、なかなか粋なことをやる。西部にもあんな人間がいるんだな」
「あんなに若くても、立派に仕事をこなしているってことかい?」片方が聞いた。
「若いって!」最初にしゃべったほうが驚いて、「いったい何を——ああ! 君もわからなかったのか? おい、護送中の保安官が自分の右手に手錠をかけるなんてことがあると思うかい?」
("Hearts and Hands" in "Waifs and Strays" by O. Henry)
Last Update: 2020.1.31
この翻訳の底本はProject Gutenberg所収のデジタイズデータです。
このように、O. ヘンリーの著作はhttp://www.gutenberg.orgから無償で入手することが可能です。
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よりすぐれた先訳があります:マルチメディア対訳版 心と手
大久保康雄訳『O・ヘンリ短編集(三)』(新潮文庫)にも収録されています。
by islecape
| 2009-03-14 17:10
| O. ヘンリー